大平国の世界の近世以降の主力艦船発達史

 

ガレオン船と戦列艦

 西方先進諸国群が大航海時代へ突入したのち貿易船はそのまま軍船となって航海先で圧倒的な軍事力を発揮した。複数のマストと帆を備え、複層の甲板に並んだ大量の大砲と特徴的な船尾楼というスタイルはその後300年近く改良されながら受け継がれ、最終的には戦列艦として最大4層の砲列甲板に150門近い大砲を備えた5000トン近くの巨大さに到達した。

 

装甲艦の時代

 装甲艦は木材の骨組みに鋼鉄の装甲をかぶせたものである。産業革命が進展すると巨大で十分な強度を持った鋼板の生産が容易となり、また帆によらない動力、蒸気機関とスクリューの組み合わせは巨大で鈍重な鋼鉄の装甲を持つ艦を容易に駆動しえた。その結果、装甲に覆われた非常に強固な装甲艦という艦種が出現するにいたり、戦列艦は一気に陳腐化した。これらの技術的の進展は一気に進んだわけではないので、当初の装甲艦は帆も備えていたが、動力源の強化にともなって次第に帆は備えなくなった。すでにこの頃から装甲に用いる鋼板の防御力の向上は、大砲の攻撃力の向上を上回っていたため、いかに敵艦を撃沈するかは重大な問題となっており、一時は船首に巨大な衝角を備えて過去の海戦のように艦と艦を文字通りぶつけることでの撃沈を狙っていた時期も存在した。結局、衝角戦術は動力技術の発展による艦艇の高速化、運動性の向上によって容易に実施しえなくなり、廃れることとなった。そして骨組みの素材も木材から鋼鉄に次第に代わっていき戦艦の時代を迎える。

 

戦艦の時代

 装甲艦が大型化し、主要な構造の素材が鋼鉄へと変化するとそれらの主力艦は戦艦と呼ばれるようになった。戦艦は非常に堅牢な防御力とそれなりの機動性、そこそこ強力な大砲で武装しており、各国海軍はこぞってこの艦種を建造した。装甲艦の時代から深刻化していた攻撃力の不足は戦艦の時代も基本的には変わらず、戦艦は複数の大型砲と多数の小型砲の組み合わせで大型砲で大きなダメージを狙いつつ、接近して小型砲でじわじわと戦闘力を奪う戦術が盛んに行われた。しかしながらこの戦術では飛躍的な装甲の進歩に対して大型砲の威力不足、測距や照準技術の進歩の遅さからときには同航戦のまま12時間以上撃ちあっても双方の主力艦が脱落しないような戦闘が続出し、機雷や魚雷といった艦砲によらない敵艦の撃沈法が模索された時期であった。

 結局のところこれらの代替策も建造技術の進歩による船体の大型化、戦訓とノウハウの蓄積によるダメージコントロールの向上といたちごっことなり、抜本的な解決とはならなかった。また1度目の世界大戦中に航空機が開発され、戦艦に対して有効な打撃力を発揮することを期待されたが当初はその発展は遅かった。戦艦は最終的にその堅牢さから2度目の世界大戦まで戦艦は主力艦でありつづけた。主力艦としての座を失うのは航空機の発達による空母の攻撃力向上がきっかけである。ちなみに最大の戦艦は全長250m以上、排水量は5万トンに達し、当時ようやく2-3万トンの戦艦を撃沈できるレベルに到達していた艦砲の進化を完全に超越しており、まさに不沈といえる存在であった。

 

空母の時代

 1度目の世界大戦中に航空機が発明されると、その利便性の高さは軍事上非常に注目され様々な使用法が考案、実践され改良が爆発的に進んでいった。その中で航空機が持つ高い機動性を活かして艦砲の着弾観測に活用し、有効射程を伸ばそうという発想がまず行われた。当時の海戦はおおよそ10km以内で行われ水平防御が徹底的に強化されており、垂直方向に対する防御は弱かった。光学機器や射撃管制技術の発達の停滞で艦砲の口径のみが増大するような傾向があったが、単純な到達距離でいえば15kmは飛ぶことがわかっていたが、当てられないという状況であった。そのような状況で航空機の効果は高いと予想されたが、現実には正確な座標の伝達法や無線通信装置の小型化、信頼性向上が進まず世界大戦中には間に合わなかった。

 その後も改良と試行錯誤が続いたが2度目の世界大戦の直前にはそれらの問題が解決されて着弾観測に盛んに用いられるようになっていた。その後の大きな転換は木造布張りが中心だった航空機の構造が全金属単葉という画期的な進歩を遂げたことである。これにより、航空機の剛性は向上し、安定性、最高速度、積載量など各分野にわたりブレークスルーが発生し、過去の航空機では不可能に思われた戦艦を撃沈可能な大きさの爆弾や魚雷を十分な運動エネルギーとともに敵艦にぶつけることが可能になったのである。これは戦艦と航空機のコスト差も相まって急速に主力として浮上するに十分な進歩であった。最終的に2度目の世界大戦中に最大5万トン、搭載機数150機にも達する航空母艦が建造され、戦艦相手に猛威をふるった結果、主力艦は完全に戦艦から空母へと移り変わった。ただし大きな問題が主に中小海軍に立ちふさがった。

 それは空母のコストである。航空機単体であればそこまで大きくないコストも100機単位の航空機に数千人の船員を必要とする空母を複数の艦隊にわたって運用することはもはや大国のなかでも少数の国にしか成し得ない事業となっていたのである。さらに空母の脆弱性は特筆すべきで圧倒的な攻撃力に吊り合わない脆弱さは多数の護衛艦艇と高度な防空システムを必要とした。戦列艦の時代から基本は変わっていない体力の続く限り単純に艦砲で殴りあうという戦法からシステマティックに航空機を運用、管制し、防空システムに有機的に連動させる必要性が長い戦争の中で経験的に生じた。その結果、世界大戦後にも継続して空母を保有する国家は、戦艦がほぼどの主要国も保有していたのに比べ激減し、海軍強国と呼びうる6つの国家のみとなった。その中でも複数の空母を保有するのは3カ国のみとなり、それ以外の国家は戦艦が絶滅した後に駆逐艦が大型化し、各国の主力艦として広く用いられることになり、現在に至っている。